いまや世界の最先端チップは、台湾の一社にほぼ依存しています。その依存の理由は「TSMCはなぜ重要なのか」で扱いました。本稿では、もう一歩さかのぼり、「なぜ台湾がそこまでの存在になれたのか」という産業史を見ていきます。
台湾は昔から半導体が強かったわけではありません。国が『これからは半導体だ』と決めて、アメリカから技術を学び、TSMCという会社が『チップを作る専門店』という新しい商売を始めました。世界中の会社が設計図を持ち込んで『作って』と頼むようになり、台湾はその注文を一手に引き受けて、どんどん腕を上げていったのです。
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台湾の優位は①政府主導のキャッチアップ(ITRI/RCA技術移転)②ピュアファウンドリという業態革新による設計-製造の分業確立③新竹を核とする後工程・材料・装置のクラスタ集積、の三層構造。規模の経済と学習効果が先端ノードで自己強化的に効き、参入障壁を年々高めた。地政学的にはこの集中が世界の脆弱性(台湾海峡リスク)でもあり、各国の国産化の動機になっている。
台湾の半導体はどこから始まったのか
台湾の半導体は、政府の決断から始まりました。1970年代、農業と軽工業が中心だった台湾は、付加価値の高い産業として半導体に国家として賭けることを決めます。
その実行役が、国の研究所である工業技術研究院(ITRI)でした。ITRIは1976年、アメリカの大手RCAから製造技術を導入し、技術者を派遣して学ばせます。そして、ここで育った技術と人材が、のちの台湾半導体産業の種になりました。1980年にはITRIからUMC(聯華電子)がスピンオフし、台湾初の本格的な半導体メーカーが生まれます(媒体集計/産業史)。
TSMCは何を発明したのか
台湾を頂点に押し上げた決定的な出来事が、1987年のTSMC(台湾積体電路製造)創業です。創業者は、アメリカのテキサス・インスツルメンツで長く経験を積み、台湾政府に招かれたモリス・チャン(張忠謀)でした。
彼が打ち出したのが、「ファウンドリ」という当時なかった業態です。それまで半導体は、設計から製造までを1社が抱えるのが当たり前でした。しかしTSMCはあえて自社製品を持たず、製造だけに専念し、顧客の設計会社と決して競合しないことを約束しました。
という業態の発明は、産業全体の構造を変えました。工場を持たない設計専業の企業が次々と生まれ、半導体は「設計」と「製造」に分業化したのです。この分業の仕組みは「半導体は、設計する会社と作る会社に分かれている」で詳しく扱っています。
なぜTSMCは世界一になれたのか
TSMCが世界一になれたのは、分業化の波に乗り、製造を一手に引き受けて規模を拡大できたからです。
世界中の設計会社が、自前の工場を持たずにTSMCへ製造を委託するようになりました。注文が集まるほどTSMCは多くのチップを作り、その経験で(良品率)を高め、最先端への巨額投資を回収できます。すると、ますます多くの注文が集まる——この好循環が、TSMCを最先端(製造技術の世代)のトップへと押し上げました。今日のTSMCの姿は「世界の最先端チップは、台湾の1社がほぼ全部作っている」で詳しく分析しています。
規模が大きくなるほど安く・速く・高品質に作れるため、後発企業が追いつくのは年々難しくなりました。これが、台湾の製造への一極集中を生んだ正体です。とりわけ、最先端の工場には1棟あたり数兆円という投資が必要で、その費用を回収できるだけの注文を集められるのは、すでに頂点に立つTSMCだけ——という構図になっています。先頭を走る者がさらに有利になる「勝者総取り」が、ここで働いているのです。
台湾の強さはTSMCだけなのか
台湾の強さは、TSMC一社にとどまりません。本当の強みは、関連企業が一カ所に密集した「生態系(エコシステム)」にあります。
新竹サイエンスパークを核に、設計、製造、(パッケージ・テスト)、材料、装置の企業がぎっしりと集積しています。設計のMediaTek、ファウンドリのUMC、後工程世界大手のASEなど、各工程に世界的な企業がそろいます。そして互いに近くにいることで、新しい技術を素早く試し、立ち上げられます。
この集積は、一朝一夕には真似できません。だからこそ、各国がいくら巨額の補助金を投じても、台湾の生態系に並ぶのは容易ではないのです。一方で、世界の最先端製造がこの小さな島に集中していることは、地政学的なリスクとして各国の国産化を促す要因にもなっています。
この記事のまとめ
- 台湾は、政府主導の技術導入・業態の発明・集積という3つが重なって半導体大国になった。
- 1970年代に国の研究所ITRIがアメリカから製造技術を導入し、そこからTSMCなどが生まれた。
- TSMCは1987年にモリス・チャンが創業し、「作ることに専念する」ファウンドリという業態を発明した。
- これにより設計専業(ファブレス)が次々生まれ、産業全体が設計と製造に分業化した。
- 新竹サイエンスパークの集積で、設計・製造・後工程・材料・装置の強固な生態系が育った。
この記事のまとめ
- 台湾は、政府主導の技術導入・業態の発明・集積という3つが重なって半導体大国になった。
- 1970年代に国の研究所ITRIがアメリカから製造技術を導入し、そこからTSMCなどが生まれた。
- TSMCは1987年にモリス・チャンが創業し、『作ることに専念する』ファウンドリという業態を発明した。
- これにより設計専業(ファブレス)が次々生まれ、産業全体が設計と製造に分業化した。
- 新竹サイエンスパークの集積で、設計・製造・後工程・材料・装置の強固な生態系が育った。
よくある質問(FAQ)
Q.台湾はなぜ半導体大国になったのですか?+
政府主導の技術導入、業態の発明、集積という3つが重なったためです。1970年代に国の研究所ITRIがアメリカから製造技術を導入し、そこからTSMCなどが生まれました。TSMCは『設計せず、作ることに専念する』ファウンドリという業態を発明し、世界中の設計会社の注文を引き受けて規模を拡大。新竹サイエンスパークに関連企業が集積し、強固な生態系が育ちました。
Q.TSMCはいつ、誰が作ったのですか?+
TSMCは1987年に、モリス・チャン(張忠謀)によって設立されました。彼はアメリカの半導体大手テキサス・インスツルメンツで長く経験を積んだ後、台湾政府に招かれて帰国し、ITRIの院長を経てTSMCを創業しました。自社製品を持たず製造だけを請け負う『ピュアファウンドリ』という当時なかった業態を打ち出したのが、最大の革新でした。
Q.ファウンドリという業態はなぜ画期的だったのですか?+
それまで半導体は、設計から製造までを1社で抱えるのが当たり前でした。TSMCは製造だけに専念し、顧客の設計会社と競合しないことを約束しました。これにより、工場を持てない設計専業(ファブレス)企業が次々と生まれ、半導体産業全体が『設計』と『製造』に分業化しました。TSMCはその製造を一手に引き受け、規模の経済で最先端をリードしました。
Q.台湾の強さはTSMCだけですか?+
TSMCが中心ですが、それだけではありません。新竹サイエンスパークを核に、設計、製造、後工程(パッケージ・テスト)、材料、装置の関連企業が密集し、互いに支え合う生態系が形成されています。この集積により、新しい技術を素早く立ち上げられる点が台湾全体の強みです。UMCやMediaTek、ASE(後工程大手)なども世界的な存在です。
用語集
- ファウンドリ/ foundry
- 他社が設計した半導体を、受託して製造する工場。代表はTSMC。
- ファブレス/ fabless
- 自社で工場を持たず、設計だけを行う会社。製造はファウンドリに委託する。
- ノード(プロセス)/ process node
- 製造プロセスの世代を表す呼び名(例:3nm)。小さいほど高性能・省電力になりやすい。
- 後工程(OSAT)/ back-end / OSAT
- ウェハーから切り出したチップを検査・組み立て・パッケージする工程。
参考資料・引用元
- 台湾半導体産業の起こり(工研院ITRI・RCA技術導入・1987年TSMC創業)報道媒体集計/産業史(2024)— 使用箇所: 1976年RCAからの技術導入・工研院ITRIのスピンオフ・1987年モリス・チャンによるTSMC創業とピュアファウンドリ業態の発明・新竹サイエンスパークhttps://www.tsmc.com/english/aboutTSMC/company_profile
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